これから書くことはものすごーく個人的な意見です。

時々思うのですが、ギャルゲー、もしくは恋愛シム系の先祖の一つは富野アニメではないかと。

よくハーレムアニメの先祖として「うる星」が挙げられるのですが、私はあたるくんは美女たちにモテモテであった記憶がありません。もちろんしのぶとラム以外にあたるを気に入っていた女の子がいなかったわけではなかったけど、あたる本人にハーレム願望があってもそれが実現していたわけではなかった気がします。
「うる星」に影響された人たちの作品に主人公ハーレムな作品があったかもしれませんが、むしろ1人の美少女が他の男を気にせずに一途にマイダーリンvな展開のほうが多かった気がします。
しかし富野作品の主人公はザブングルあたりからきっちり女の子が主人公のことを好きだと明言して争う事が出てきて、ファンの間でも「ラグだ!」「いいや、エルチだ!」と今で言うカップリング論争が起きていた覚えが在ります。
ラムとしのぶのファンもそれなりに戦っていたのかもしれませんが、どう見てもラムの一人勝ちな展開の作品だったのであまり戦いそのものをしても意味が無かったのかもしれませんが。
この「主人公を好き」だと「明言」して「戦う」のがある意味新しかったのかもしれません。
特にファンの戦い(?)を感じたのが「エルガイム」でしょうか。最終回のあの展開にファンががっかりしていたのを思い出します。「分かる気もするが何故アムじゃない…」「レッシィが不憫だ」等々。そして「俺だったらこうする」的な発言も多かった気がします。
複数のヒロイン候補を出せばそれぞれのファンにとってのヒロインが生まれる。しかしヒロインとして見ていた子がラストでヒロインでなくなってしまう。
「俺だったらこうする」
「俺だったらあの子をヒロインにする」
「俺なら全員がヒロイン。全部欲しい」<(笑)
そういう思いの一つがハーレムアニメの、果ては恋愛シム系のゲームの発展の一つになっているような気がするのです。
ただ普通に主人公ハーレムだったらどちらかというと「天地無用!」のように結果なんていいから美女たちに囲まれた騒がしくも平和でちょっぴり大事件が起こる日常を満喫していれば満足でありましょうから。

私がPCエンジンで初めてときメモを遊んだ時思った事の一つに「これはヒロインを好きに選べるゲームだ」でした。
容姿も良くて成績も良い幼馴染だけでなく、遊び好きのクラスメイトや本の虫の女の子、ちょっとポケたお嬢さまなど等を最後にヒロインとしてラストを迎えることができるお話を体験できるのです。それはある意味「俺だったら〜」の世界が実現される世界であるような気がします。

最近の富野アニメは「ブレンパワード」あたりから主人公に複数のヒロインを宛がうことをしなくなってきていますが(ウッソくんは子供だし…)逆に言えばカントク的には「主人公がモテモテ」なんてもう古くなってしまったという事なのでしょうか。ときメモでさえあの当時は「女の子の方から告白してくれる」事が斬新だったのですが。
ただまだまだアニメ・ゲーム・マンガ世界は女の子が告白しなくちゃカップルが成り立たないものが多いような気がします。さすがに私も年をとったのかたまには男の子の方からきちんと手をとって選んで頂きたいと思うことも多々あります。古いでしょうか?

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